イリチルは真心

THE UNITY 大阪公演の初日と東京公演の初日に行ってきました

イリチルの楽曲や出立ちから視覚的に伝わってくるカッコよさに関してはもう一旦置いとくかって感じ 無理だから 言語化が 愛してます

そこ以外で今回のコンサートで思ったこと

人の善意や誠意が目に見える形をしていて、しかもそれに触れられる機会って普段あんま無いじゃないですか

だけどイリチルはそういうの全部をくれるんだよね…

一人ひとりが間違いなくスーパースターであるけども、メンバーとの、ファンとの関係性においてめちゃめちゃ真心を見せてくれるわけ

真心なのよ、結局…

マジで

真心なのよ

イリチルは真心

 

これは本当にふざけじゃなく、だから自分にとってイリチルは特別で、だから大好きなんだと思い知りました

なんか最近というかここ5年くらい特に?本心を開示する行為自体が冷笑の標的になってしまうかもという不安をずっとうっすら持たされてる感覚があって、世の中から どんな本音も“お気持ち表明”に回収されて有耶無耶にされてしまう風潮があるじゃないですか(感情に言及することで論点や責任の所在をすり替えるやり方へのカウンターとしての風潮だと考えると理解はできるのだけど) 長年そういうムードを内面化した結果、思ってる事を発信することがものすごく勇気を要する行為になった気がして、とりあえずなんか意味とかセンスが込められてるっぽく見える単語や写真だけ載せとけばスベらないかなみたいな

すべてを開示する必要はないししたいとは思わないけれど、言語化以外に手段を持たない自分のような人間にとっては、日々生まれる瑣末ながらも膨大な数の気持ちをただただ持て余すだけの状態になっていて 私はとりとめのない気持ちほど他者と共有することに喜びや親密さを感じるからこそ、こういう現状に対してなんかずっとつまらないなーという気分だったんですが

だからなのか、イリチルがパフォーマンスや言葉に乗せてリアルな感情を見せてくれる、あるいは意図を超えてはみ出てきていることにめちゃくちゃ新鮮に感動したんだよね 生きることの醍醐味みたいなものが躍動している感じがして やっぱり人って気持ちを交換してなんぼなんじゃん泣みたいな 自分がその主体になれないとしてもこういう生きることのダイナミズムを感じる場面が必要だよ、とかも思ったし、全然

イリチルそのものと公演自体に冷笑的な類のものを一切寄せ付けない強度があって自分も全力で心からの「大好きー!」「かっこいー!」とか叫べるし、これが幸せじゃなかったらなんなんだと思う そういう時間を過ごせることに意味を感じざるを得ないし、明日からの自分に少し期待して生きていける気分になるんだよね アイドルから力をもらうってよく聞く言い回しだけど、私にとってはこの事を言うんだなと実感しました

だからアイドルを好きでいることや応援する行為って副次的に、時に一次的に自分を奮い立たせるものだと思うんだけど、一方でファンという自分の存在そのものがイリチルたちの自負心を支えているという実感もあって、決して一方通行でない人同士の相互関係が成立していることにも改めて感動しました コンサート会場に居るとここに“推し”と“推し活”という言葉だけに収まりきるような情景は何ひとつないのではと思う(推しという呼称には常に違和感がつきまとう)

 

大阪公演の時にテヨンが、僕たちとシズニはそもそも人としてそんなに大きな違いはないじゃないですか、というようなことを言ってたんだけど、本当に同じ時間を一緒に生きてるんだなと思う イリチルが頑張ってるから頑張ろーつって そういう親密なエンパワメントをくれる存在ってほぼ友人ですよね

イリチルは友人

かつ真心

真心ってなんだろう〜♪って歌、あれ、イリチルのことです

 

大好きなテイルさんが不在だったことや、もう目の前に迫っている兵役についての複雑な気持ちはあるものの、良い気持ちを持ち帰れて、爽やか

次に観れるのは何年後になるか分からないけれど、その日を楽しみに待ちながら私も自分の人生を生きようと思います

また会おうイリチルいつまでも待ってるし大好きだよありがとうラブ